雑記

知っていることを増やすという作業は、勉強。

勉強でSubjectになるのは、既に起こったことや誰かが考えたこと、もしくは誰かが作ったことでかなり最適化されている事柄。例えば、歴史、数学、法律、俗っぽくすればビジネスなんかがそうだ。

古典的な学問から学際化が進んできて、人間周りまで落とし込んでいくと、新しめの学問になっていく。いわゆる教養が大事だっていってるのは、古典的なところを抑えているかどうかじゃないか。

考えるという作業は、インプット処理アウトプットだとか課題解決だとか答えを出すことだとかいろいろあるけども、とりあえず大事なのは古典を知ったうえで自分でポジションを取っているかということ。

とにかく、賢い系の人たちはやたらポジションを取っていて、人と意見をぶつけることが好きである。ポジションを取っていないと、とにかく何を言っているか分からないから、とりあえず発信者の的を得そうなことを言うに終始する。そうなうと、議論のベクトルが合わなくなる。

 

なんでも続けると癖になる。ポジションを取り続けるとそいういうくせになる。

柔軟性がなくなると、取りっぱなしですり合わせないと、頑固だとか負けず嫌いだとか言われるのかも。

なんでもいいから勝負してると活力が出る。あとは、人間何千年と生きてる中で、これはやっちゃいかんだろということをやらなければ良いと思う。