グループ会社との食事会
自分が所属している現地企業のグループ会社である事務所のトップと食事をする機会があった。ちなみに、御本人は月1回の来るか来ないからしいので、今後1年会わないかもしれず、とても貴重な経験であったことは間違いない。
車に乗るやいなや、
「会計って何?」「簿記って何?「会計と簿記の違いってなんだろう?「財務会計と管理会計の違いってなに?」
から始まり、
自分の出生と、なぜこの国でこの仕事をしているのか。
当人からしたら、些細なアドバイスの前振りであり、相手自身を知るための小さな質問なのだろうと思う。しかも、後者の質問に関しては正解はないので自分をどう見せるかは自身の言葉遣いが全てである。
それでも、やはりこういう人を測るともとれる質問は苦手であった。
生まれや経験から、自分は相手が欲しているところに答えをあわせることを好んで発言していたからこう感じるのだと内面を自省して考えるようになった。
(客観的に捉えられているだけでも、過去の自分とは違い成長したと感じたい)
子曰く、なぜ働くかや人生のテーマは「自分を生きた証を残すことらしい」
何年後にこうしようなんて考えてないが、こうして生きたいという自己の強さは絶対に保っていなきゃいけないものだと思う。
他の子曰く、バカとアホは違う。自分は馬鹿だなと感じた。
この自分の中にある小賢しさを減らさなきゃいけない。継続した訓練によって成長できることは歴史が証明している以上、毎日24hを無駄にしないよう意識的に過ごすしかない。
結論だが、賢い人の話し方やオピニオンの強さはどこにいっても同じだなと強く感じた。それが前職で出会った、立ち入ってない中小企業の社長でもグローバルで働く人もそうだし、大企業のトップを務められた人もそうである。
”世の中を取り巻く情報に敏感であり、取り込む情報を自分ごととして捉え、自分の意見を何事にも持つようにしている。”
ここで自己の強さを支えているのは、強い原体験(リーダーシップ経験、貧困、苦難)や、陶酔出来るほど強い思想(メンターを始めとする第三者による言葉含む)など、考えに打ち立てられたDiciplineであり、決してグーグルでどこかの誰かが言った言葉を鵜呑みにしているだけではないのである。
興味を持ち、自分で何千時間も考え、打ち立てた思想は、それがどんなに社会的に陳腐な言葉であっても、とてもプレシャスである。自分もここにいるうちにDiciplineを持つ。