学ぶとは、働くとは
落ち着いて客先に出られるまでは、翻訳業務を与えられている。
仕事は、何かを提供する対価として、報酬が支払われる一連の動作。
需給で引き合いや報酬の多寡、提供する”何か”の難しさが大きくなる。
認可業なら尚良い。パラダイムが起こらない限り無くならないから。
会計という仕事に携わり、今は翻訳の仕事を与えられている。
日本の会社の資本が49%入った会社で、ビジネスパートナーという形で米系企業の参加に入る、資本関係のない紛うことなき日系企業である。
日本人のクライアントを持ち、クライアントはビジネスの傍ら、異国の税制と戦わなければならない。
戦うという表現を使ったのは、唯一の日本人上司である公認会計士の先生が、税金の本質といっていたからだ。
与えられた役割の責任が、大きくなればなるほど経験の幅が広がるのだろう。
一つの場所で耐えていたら、会社という構造の中では、位が上がり、マネジメントせざるを得なくなり、経験の幅は広がり続ける。
経験の幅を広げながら、スライドするのが現実だろう。
いつまで、勉強するためにと言ってられるかは主観的にはわからない。
世間一般でいうと、27−8歳なんだろうと思う。新卒で入れば5年目。離職した身にとっては専門性か需要がありインパクトの強い経験を積んでいるとか。
外に興味を持ち、責任を持ち、勉強する。
以上