賢さの定義
前職で先輩2人を乗せてゴルフに向かう道中、一人の先輩がなんの気なしに
なんでも手に入れられるなら何が欲しいか聞いてきた。
当時は、誰にでも好かれる能力と答えたと思う。営業をやっていた手前そういった対人スキルみたいなものに飢えていたのだと振り返ってみて感じる。
一人は欲望のままに、歌のうまさを。一方で、もう一人事務方の先輩は”絶対的な賢さ”を挙げていた。
その答えを聞いた時、当時は何も思わなかった。なぜなら、賢さがあったところで契約が取れるわけでもなく、恥ずかしい話ではあるが自分はそこまでバカではないと思っていたからだ。
そうして、当時を振り返って今はどうだろうか。
彼の言っていた、”賢さ”をすごい求めている自分がいる。カーニーかどこかの元パートナーが言っていた、今の若者は私が一晩にして今のスキルを得られたと思っているが違うという話があった。
歩む速さと向きが違うだけで、皆何かしらの経験をしていて。今いわゆる賢い人達は早くから、ソコにたどり着くのに適切な歩幅と向きで歩んできたんだろうと思う。
天才は存在するか書いた本、端的にいうと努力だよって結論だった。仰るとおりだと思う。
しかし、歩幅も違うからなかなかたどり着けない現実がある。それでも今日より明日で進むしかないよねっていう。
という質問を受けたことに、スパッと答えられなかった。
昔からなんで?っていう質問に答えるのがすごい苦手な気がするエントリーもまた書きたい。
あと、自分と違う意見を持つ人間に対して徹底的に論破かけたいというしょうもない欲がでてきている。賢さとは違うはずだけれでも、これも時間がある時に調べて書きたい。
論理トレーニング100題もなかなか進んでない。やらねば。